曲輪とは?戦国時代の城を守る区画の役割と種類を初心者向けに解説
戦国時代の城跡を歩いていると、山の斜面に不自然なほど平らな場所が続いていることがあります。実は、そこに城を守るための工夫が隠されているかもしれません。
こうした場所の多くは「曲輪(くるわ)」と呼ばれ、戦国時代の城を構成する重要な区画でした。
曲輪には兵士を配置したり、建物を建てたりする役割がありました。また、堀や土塁と組み合わせることで、敵が簡単に攻め込めない構造をつくっていたのです。
では、曲輪とは具体的にどのような場所なのでしょうか。また、本丸や二の丸とは何が違うのでしょうか。
今回は、曲輪の基本的な意味から種類、防御のしくみ、城跡での見分け方まで、初心者の方にも分かりやすく解説します。
対象読者:歴史初級者
読了時間:約15分
曲輪とはどのような場所だった?
曲輪とは、城の中に設けられた一区画のことです。特に戦国時代の山城では、山の斜面や尾根を加工して平らな場所をつくり、兵士の配置や防御に利用していました。
戦国時代の城は、天守や石垣だけでできていたわけではありません。むしろ、多くの山城では、土を削ったり盛ったりしてつくった曲輪が、城の中心的な施設でした。
曲輪は一つだけとは限りません。山頂から斜面にかけて、大小さまざまな曲輪を配置することで、城全体を守るしくみをつくっていました。
まずは、曲輪の意味と、よく似た城郭用語との違いを整理してみましょう。
曲輪とは城の中に設けられた区画のこと?
あけぼの姫曲輪は、城の中で人が活動できるように整えられた区画です。山城では、斜面を削ったり土を盛ったりして平らな場所をつくり、兵士の配置や建物の設置などに利用しました。
曲輪(くるわ)とは、城の内部に設けられた区画を指す言葉です。特に戦国時代の山城では、山の自然な地形を加工してつくられた平坦地が、曲輪の基本的な姿でした。
例えば、急な山の斜面に兵士を並べようとしても、足場が悪く、思うように動けません。そこで斜面を削り、土を盛ることで、人が活動しやすい場所をつくったのです。
ただし、曲輪は単なる休憩場所ではありません。周囲に土塁や堀、切岸などの防御施設を設け、敵の侵入を防ぐ役割も持っていました。
滋賀県の甲賀市が公開する城郭用語集でも、曲輪は人間が活動できるように削平された平場で、防御施設に囲まれることが多いと説明されています。
また、曲輪の広さや形は一定ではありません。大勢の兵士を配置できる広い曲輪もあれば、山の斜面に設けられた小さな曲輪もありました。
つまり、曲輪は城の中にある一つの区画であり、城全体は複数の曲輪と防御施設を組み合わせて構成されていたのです。
曲輪と郭・本丸・二の丸は何が違う?
あけぼの姫「曲輪」と「郭」は、基本的に同じ意味で使われる言葉です。一方、本丸や二の丸は、城の中にある特定の区画を指す名称で、曲輪という大きな分類に含まれます。
城の説明を読んでいると、「曲輪」のほかに「郭」「本丸」「二の丸」といった言葉が登場します。
まず、「曲輪」と「郭」は、どちらも「くるわ」と読み、城の区画を表す言葉です。ただし、使われた時代や史料によって表記には違いがあります。
岡山県の城郭解説では、当時の文献では「曲輪」の表記が一般的で、江戸時代には「郭」も使われたと説明されています。
一方、「本丸」は、一般に城の中心となる区画を指します。その外側や周辺に設けられた主要な区画が「二の丸」「三の丸」などと呼ばれることがあります。
ただし、戦国時代の山城では、すべての城に本丸や二の丸という名称が使われていたわけではありません。
そのため、城郭研究では、中心となる曲輪を「主郭」、それを補佐する主要な曲輪を「副郭」と呼ぶことがあります。
つまり、曲輪は城の区画全般を表し、本丸や二の丸は、その中の特定の場所を指す名称なのです。
曲輪はどのように造られた?
あけぼの姫山城の曲輪は、自然の地形を利用しながら、土を削ったり盛ったりして造られました。山頂や尾根、斜面に平らな場所を設けることで、兵士が活動できる空間を確保したのです。
山城を築く場合、最初から広く平らな土地があるとは限りません。
特に山頂や尾根は、自然のままでは傾斜があり、兵士を配置したり建物を建てたりするには不便な場所もあります。
そこで行われたのが、地面を削って平らにする「削平(さくへい)」です。必要に応じて土を盛り、利用できる面積を広げることもありました。
また、曲輪の周囲の斜面を急に加工することで、敵が登りにくい地形をつくりました。この人工的な急斜面を「切岸(きりぎし)」と呼びます。
曲輪と曲輪の間に高低差を設ければ、敵は一つの区画を突破しても、さらに上の区画へ攻め上がらなければなりません。
ただし、すべての曲輪が同じ方法で造られたわけではありません。山の地形や土質、城を使う目的によって、造成方法は異なります。
また、現在見られる平坦地が、必ず戦国時代の曲輪とは限りません。後世の畑や道の造成によって、地形が変化した可能性もあります。
曲輪を理解するときは、平らな場所そのものだけでなく、周囲の斜面や堀との関係を見ることが大切です。
実際の造成方法を知りたい方は、山形県の飯田館跡の発掘調査で確認された盛土や地山の痕跡を見てみると、曲輪がどのように造られたのかを具体的に理解できます。
曲輪にはどのような種類があった?
曲輪には、城の中心となる主郭や、それを補佐する副郭、斜面に設けられた腰曲輪など、さまざまな種類があります。名前の違いを知ると、城の構造が見えてきます。
戦国時代の城には、同じような形の曲輪ばかりが並んでいたわけではありません。
城の中心に置かれた大きな曲輪もあれば、斜面に沿って細長く設けられた曲輪もありました。
また、城の出入口を守るため、外側に小さな区画を設ける場合もあります。
ただし、曲輪の名称には地域差や研究上の分類の違いがあります。名前だけで役割を決めつけず、配置や周囲の施設と合わせて考えてみましょう。
主郭と副郭にはどんな役割があった?
あけぼの姫主郭は城の中心となる曲輪で、副郭はそれを補佐する主要な曲輪です。山城では山頂や尾根上に配置されることが多く、城の中でも重要な場所として利用されました。
城の中で中心となる曲輪を「主郭(しゅかく)」と呼びます。
主郭は、城の中でも重要な場所に設けられることが多く、建物が置かれたり、防御の中心となったりしました。
ただし、必ずしも山の最も高い場所に主郭があるとは限りません。地形や城の構造によっては、別の場所が中心となることもあります。
一方、「副郭(ふくかく)」は、主郭を補佐する主要な曲輪です。主郭に隣接して設けられる場合もあれば、尾根を隔てて配置される場合もあります。
例えば、主郭へ向かう通路の途中に副郭があれば、敵は主郭へ到達する前に、その区画を突破しなければなりません。
このように、複数の曲輪を配置することで、城の防御に厚みを持たせることができました。
ただし、主郭と副郭の具体的な役割は、すべての城で同じだったわけではありません。
城跡を見学するときは、どの曲輪が中心にあり、ほかの曲輪がどのようにつながっているのかを確認してみましょう。
鳥取県の羽衣石城跡の最新調査では、主郭から尾根へ連なる曲輪群が紹介されており、複数の曲輪を組み合わせた山城の構造を知ることができます。
腰曲輪・帯曲輪・段曲輪はどう違う?
あけぼの姫腰曲輪や帯曲輪は、主郭などの周囲や斜面に設けられた比較的小さな曲輪です。また、斜面に階段状に並ぶ曲輪を段曲輪と呼ぶこともあります。
山城の斜面を歩いていると、細長い平坦地や、小さな平場が階段のように続いていることがあります。
こうした曲輪には、形や配置によって異なる名称が使われています。
「腰曲輪(こしぐるわ)」は、主郭などの主要な曲輪より低い位置に設けられた小規模な曲輪を指します。
一方、「帯曲輪(おびぐるわ)」は、主要な曲輪の周囲に沿って、帯のように細長く設けられた曲輪です。
ただし、腰曲輪と帯曲輪の区別は、資料や研究者によって異なる場合があります。両者をほぼ同じ意味で扱う解説もあります。
また、斜面に小さな曲輪を階段状に並べたものを「段曲輪(だんぐるわ)」と呼ぶことがあります。
こうした曲輪は、兵士が活動できる場所を増やすだけでなく、斜面を登ってくる敵に対する防御にも利用できました。
ただし、個々の曲輪が具体的に何に使われたのかは、発掘調査などの証拠がなければ断定できません。
曲輪の名前は便利ですが、実際の城の構造を理解するための手がかりとして考えるとよいでしょう。
馬出や出丸も曲輪の仲間なの?
あけぼの姫馬出や出丸は、城の中心部から外側へ設けられた防御用の区画です。特に馬出は出入口を守るための施設で、敵の侵入を防ぎ、味方が行動しやすくする役割がありました。
曲輪には、城の中心を守るものだけでなく、外側に配置されるものもありました。
代表的なのが「馬出(うまだし)」です。
馬出は、城や曲輪の出入口である「虎口(こぐち)」の前に設けられた小さな防御区画です。
敵が門へ直接近づくのを妨げるほか、味方が城外へ出る際の拠点としても利用できました。
馬出には、丸みを帯びた形の「丸馬出」や、角張った形の「角馬出」などがあります。
また、「出丸(でまる)」は、城の中心部から外側へ張り出した場所や、少し離れた位置に設けられた防御用の区画を指します。
敵が近づいてくる方向を監視したり、主要な曲輪の守りを補ったりする役割が考えられます。
ただし、馬出と出丸は、すべての城に設けられていたわけではありません。
また、形が似ているだけで馬出と断定できるわけでもありません。周囲の堀や虎口、通路との関係を確認する必要があります。
城の外側にある小さな曲輪にも、城全体を守るための工夫が隠されているのです。
曲輪はどのように城を守っていた?
曲輪は、兵士や建物を置くための場所であると同時に、城を守るための重要な施設でもありました。堀や土塁、切岸などを組み合わせることで、防御力を高めていたのです。
曲輪の役割を理解するには、平らな場所だけを見ていては十分ではありません。
周囲にある堀や土塁、急斜面、出入口なども、曲輪と一体となって機能していました。
例えば、敵が曲輪へ近づこうとしても、深い堀や急な切岸があれば、簡単には進めません。
さらに、曲輪の配置を工夫することで、敵の進む方向を制限することもできました。
ここでは、曲輪を利用した防御のしくみを見ていきましょう。
曲輪と堀・土塁・切岸はどう組み合わされた?
あけぼの姫曲輪の周囲には、堀・土塁・切岸などの防御施設が設けられました。これらを組み合わせることで、敵が簡単に曲輪へ入り込めないように工夫されていました。
曲輪は、平らな場所をつくるだけで完成するわけではありません。
敵から守るためには、周囲に防御施設を設ける必要がありました。
代表的な施設が「堀」です。堀は、地面を掘り下げてつくった溝状の施設で、敵の進行を妨げる役割がありました。
水をためない堀は「空堀(からぼり)」と呼ばれます。また、山の尾根を断ち切るように設けられた堀は「堀切(ほりきり)」と呼ばれます。
「土塁(どるい)」は、土を盛り上げてつくった土手状の防御施設です。曲輪の周囲に設けることで、敵の侵入を防ぎ、内部の兵士を守る役割を果たしました。
さらに、曲輪の周囲を急斜面に加工した「切岸」も重要でした。
敵が切岸を登ろうとすると、足場が悪く、自由に動きにくくなります。
こうした施設は、それぞれ単独で使われるだけでなく、組み合わせて配置されました。
つまり、曲輪は堀・土塁・切岸などと一体になって、城の防御を支えていたのです。
曲輪の配置で敵の進路をどう制限した?
あけぼの姫曲輪の配置は、敵が城の中心へ進む経路に影響しました。曲輪と曲輪の間に高低差や堀を設け、出入口を限定することで、敵が自由に進めない構造をつくっていました。
戦国時代の山城では、敵が山頂まで一直線に進めるとは限りませんでした。
例えば、尾根に沿って複数の曲輪が並んでいれば、敵は一つずつ区画を突破する必要があります。
さらに、曲輪の間に堀切が設けられていれば、進むためには堀を越えなければなりません。
また、曲輪の出入口である虎口の位置を工夫することで、敵が通る場所を限定することもできました。
通路を曲げたり、狭くしたりすれば、大勢の敵が一度に進みにくくなります。
さらに、曲輪の側面から敵を攻撃できるように配置する場合もありました。
このように、敵の正面だけでなく側面から攻撃することを「横矢(よこや)」と呼びます。
ただし、すべての曲輪が横矢を意識して設計されていたとは限りません。実際の防御方法は、城の地形や時代によって異なります。
曲輪の配置を調べると、城を築いた人々が敵の進路をどのように考えていたのかが見えてくるのです。
曲輪には兵士や建物が置かれていた?
あけぼの姫曲輪は、敵を防ぐだけでなく、兵士が活動するための場所でもありました。曲輪の広さや位置によっては、建物が置かれたり、兵士が集まる場所として利用されたりしました。
曲輪は、戦うためだけの空間だったのでしょうか。実は、曲輪にはさまざまな使い方がありました。
例えば、広い曲輪には建物が設けられることがありました。城の中心となる曲輪では、重要な施設が置かれる場合もあります。
また、兵士が集まったり、武器や物資を置いたりする場所として利用された可能性もあります。
一方、小さな曲輪では、少人数の兵士が配置され、周囲を監視する役割を担ったことも考えられます。
ただし、曲輪の広さだけで、何人の兵士がいたのかを正確に判断することはできません。
また、現在の城跡に建物が残っていなくても、かつて建物が存在した可能性があります。
発掘調査で柱穴(柱を立てた跡)や礎石(柱を支える石)などが確認されれば、建物の存在を考える手がかりになります。
反対に、こうした遺構が確認されていない場合、建物があったと断定することはできません。
曲輪の役割を考えるときは、地形だけでなく、発掘調査の成果も重要なのです。
城跡では曲輪をどのように見分ける?
現在の城跡でも、曲輪の痕跡を見つけることができます。特に山城では、山の斜面に残る平坦地や段差、堀などに注目すると、当時の城の構造が見えてきます。
戦国時代の山城には、建物や石垣がほとんど残っていない場所もあります。
しかし、地面の形をよく観察すると、当時の人々が山を加工した痕跡が残っていることがあります。
例えば、山の斜面に不自然なほど平らな場所があれば、曲輪の可能性があります。
ただし、平らな場所がすべて曲輪とは限りません。城跡を歩く際には、周囲の地形や案内図も確認することが大切です。
山城の曲輪はどこを見れば分かる?
あけぼの姫山城の曲輪を探すときは、山頂や尾根、斜面にある平坦地に注目しましょう。自然の地形とは異なる段差や急斜面があれば、城を築いたときの加工跡かもしれません。
山城を歩くとき、まず注目したいのは地面の形です。
自然の山の斜面は傾いていますが、曲輪として造成された場所は、比較的平らになっていることがあります。
また、曲輪の周囲には、人工的に急にした切岸が残っている場合があります。
例えば、平らな場所の端から急に斜面が落ち込んでいれば、曲輪の縁である可能性があります。
さらに、山頂から斜面にかけて、平坦地が階段状に続いていることもあります。
こうした地形は、複数の曲輪が配置されていたことを考える手がかりになります。
ただし、現在の山城跡には、後世に畑や山道として利用された場所もあります。
そのため、平らな場所を見つけただけで、戦国時代の曲輪と断定することはできません。
現地の説明板や発掘調査報告書、縄張図などを確認すると、より正確に理解できます。
また、山城では斜面が急で、足元が不安定な場所もあります。遺構を確認するときは、整備された見学路から観察するようにしましょう。
曲輪の形や大きさから何が読み取れる?
あけぼの姫曲輪の形や大きさは、城の構造を考える手がかりになります。広い曲輪や細長い曲輪、段差のある曲輪などを比較すると、それぞれの配置に違いがあることが分かります。
曲輪は、すべて同じ形をしているわけではありません。
広く平らな曲輪もあれば、細長い曲輪や、小さな段状の曲輪もあります。
例えば、広い曲輪は、建物を置いたり、多くの人が活動したりする場所として利用しやすい形です。
一方、細長い曲輪は、山の斜面に沿って設けられている場合があります。
また、曲輪の位置にも注目してみましょう。
山頂付近にある曲輪と、山の中腹にある曲輪では、城全体の中での役割が異なっていた可能性があります。
ただし、「広い曲輪だから城主の居場所だった」「小さい曲輪だから見張り台だった」と単純に判断することはできません。
実際の用途を考えるには、建物の痕跡や出土品、周囲の防御施設なども確認する必要があります。
また、城は一度に完成したとは限りません。戦いの状況に応じて、曲輪が追加されたり、改修されたりすることもありました。
曲輪の形や大きさは、城の使われ方や変化を考えるための重要な手がかりなのです。
現地の案内図や縄張図はどう読む?
あけぼの姫城跡を見学するときは、案内図や縄張図を確認すると、曲輪の配置を理解しやすくなります。特に、主郭の位置や曲輪同士のつながり、堀や土塁の場所に注目してみましょう。
城跡の説明板には、曲輪や堀の位置を示した案内図が掲載されていることがあります。
また、城の地形や防御施設を詳しく表した図を「縄張図(なわばりず)」と呼びます。
縄張図では、主郭や副郭、腰曲輪などの位置が示されるほか、堀切や土塁、虎口などの防御施設が描かれている場合があります。
まずは、城の中心となる主郭がどこにあるのかを確認してみましょう。
次に、そこへ向かう道や、途中に配置された曲輪をたどってみます。
例えば、主郭へ向かう途中に複数の曲輪や堀切があれば、敵が簡単に中心部へ進めない構造だった可能性があります。
また、縄張図と実際の地形を見比べると、平らな場所や急斜面の意味が分かりやすくなります。
ただし、縄張図には調査者による解釈が含まれる場合があります。図に描かれたすべての施設が、同じ時期に存在したとは限りません。
現地で観察できる遺構と、研究によって推定された内容を区別することも大切です。
縄張図を手に城跡を歩くと、何気ない山道が、当時の防御施設として見えてくるかもしれません。
縄張図が歴史研究にどのように役立つのかは、岡豊城などを取り上げた長宗我部元親の城づくりを読むと、具体的な事例から理解できます。
まとめ
曲輪は、戦国時代の城を構成する基本的な区画でした。城の中心となる場所から斜面に設けられた小さな区画まで、さまざまな曲輪が組み合わされていたのです。
曲輪は城の中に設けられた重要な区画だった
曲輪とは、城の中に設けられた一区画のことです。特に山城では、山の地形を加工して平らな場所をつくり、兵士の配置や建物の設置などに利用しました。
また、「曲輪」と「郭」は基本的に同じ意味で使われます。一方、本丸や二の丸は、城の中にある特定の区画を指す名称です。
曲輪には主郭・副郭・腰曲輪などの種類があった
曲輪には、城の中心となる主郭や、それを補佐する副郭、斜面に設けられた腰曲輪や帯曲輪などがあります。
また、出入口を守る馬出や、城の外側に設けられた出丸などもありました。
ただし、名称の使い方には違いがあるため、配置や周囲の施設と合わせて理解することが大切です。
曲輪は堀や土塁と組み合わせて城を守っていた
曲輪は、兵士が活動する場所であると同時に、城を守るための施設でもありました。
堀や土塁、切岸などを組み合わせることで、敵の侵入を妨げる構造をつくっていました。
また、曲輪の配置や出入口を工夫することで、敵が進む方向を制限することもできました。
城跡では曲輪の形や配置に注目すると面白い
現在の山城跡でも、平坦地や段差、急斜面などから、曲輪の痕跡を確認できる場合があります。
ただし、平らな場所がすべて戦国時代の曲輪とは限りません。
現地の説明板や縄張図、発掘調査の成果などを参考にすると、城の構造をより正確に理解できます。
曲輪は戦国時代の城を支える基本的な区画だった
曲輪は、城の中で人々が活動するための場所であり、同時に敵の侵入を防ぐための重要な区画でもありました。
戦国時代の城は、曲輪を一つ設けるだけでなく、複数の曲輪や堀、土塁、切岸などを組み合わせて造られていました。
その配置を調べると、城を築いた人々が地形をどのように利用し、敵の攻撃に備えていたのかが見えてきます。
次に城跡を訪れたときは、天守や石垣だけでなく、足元に広がる平らな場所にも注目してみてください。
何気なく歩いていた場所が、戦国時代の城を守る重要な曲輪だったと気づくかもしれません。
参考史料・参考文献
一次史料・近世史料
- 各城跡の発掘調査報告書・遺構実測図。曲輪の造成状況や建物跡などを確認するための考古学的な一次資料です。
- 各城に伝わる城絵図・古絵図。曲輪の名称や配置を考えるための史料ですが、作成年代や後世の改変に注意が必要です。
※今回の記事は、特定の戦国期古文書を直接解読したものではなく、自治体の城郭調査成果と公的解説を中心に構成しています。
研究書・参考文献
- 千田嘉博・小島道裕・前川要『城館調査ハンドブック』新人物往来社、1993年。
- 文化庁文化財部記念物課監修『発掘調査のてびき―各種遺跡調査編―』同成社、2013年。
Webサイト・公的機関の解説
- 岡山県「城の要」 — 曲輪の基本的な意味や種類、防御施設との関係を解説。
- 甲賀市「城郭用語集」 — 主郭・副郭・腰曲輪・堀・土塁などの用語を整理。
- 恵那市「山城とは」 — 曲輪・帯曲輪・虎口・馬出などを図解とともに紹介。
- 武雄市「武雄の中近世城館」 — 山城の構造と曲輪の種類を解説。
- ひろしまWEB博物館「山城の機能と構造」 — 曲輪や切岸、土塁などの基本的なしくみを紹介。
- 神戸市「神戸の山城」 — 山城の造成方法や防御施設について解説。

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