家臣とは?

武将と大名のしくみ

家臣とは?戦国時代の主君との関係や役割を初心者向けに解説

戦国時代の物語では、織田信長とその家臣たちのように、主君の命令を受けて戦う武将が数多く登場します。

では「家臣」とは、現代でいう会社員のように大名の命令へ絶対に従う存在だったのでしょうか。

実際の主従関係には、所領の保障や軍役、地域の利害などが複雑に絡み合っていました。

この記事では、家臣とは何か、主君とどのように結ばれ、合戦や領国支配で何をしていたのかを初心者向けに解説します。

対象読者:歴史初級者
読了時間:約28分

目次

そもそも戦国時代の「家臣」とは?

「家臣」と聞くと、大名のそばに控えて命令を受ける武士を思い浮かべるかもしれません。しかし、戦国時代の家臣の立場や主君との結びつきは一様ではありませんでした。

武将と大名のしくみ

戦国大名は、自分一人で広い領国を治めたり、大軍を動かしたりすることはできません。そこで重要になったのが、主君を軍事・政治の両面から支える家臣たちです。

ただし、大名の家臣には代々その家に仕えてきた武士もいれば、地域に独自の勢力基盤を持ちながら大名に従う者もいました。

研究上も、戦国大名の「家中」に組み込まれた武士と、自立性を持つ国衆との関係には違いがあったと考えられています。

つまり、「大名の下に家臣が一列に並んでいた」と考えるより、さまざまな結びつきを持つ武士たちが大名権力を支えていた、と考えるほうが実態に近いのです。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

家臣とは主君に仕えて働く武士のこと

あけぼの

家臣とは、基本的には特定の主君に仕え、軍事や政治などの役割を担った武士を指します。ただし、その仕え方や主君との結びつきの強さは、時代や大名家によって大きく異なっていました。

戦国時代の家臣を簡単に説明するなら、「主君に仕えて、その家を支えた武士」です。合戦が起これば主君の軍勢に加わり、平時には城や領地の管理、年貢徴収、裁判、外交、文書の作成などを担当することもありました。

ただし、「家臣」という言葉だけで、すべての武士を同じ立場として扱うことはできません。

たとえば、大名の近くで日常的に政務を担当する者もいれば、自分の城や領地を持ち、必要なときに兵を率いて大名に加勢する有力武士もいました。主君との関係が何代も続いている家もあれば、戦争や婚姻、領国の拡大をきっかけに新しく従うようになった家もあります。

そのため、現代風にいえば「会社の社長と社員」のような統一された雇用関係を想像すると、少し実態から離れてしまいます。

むしろ戦国大名の勢力は、立場も勢力も異なる武士たちを主従関係の中へ取り込みながら形成された政治・軍事組織と考えると分かりやすいでしょう。実際、家臣団の構成は大名家ごとに異なっていました。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

家臣と「家来」「家臣団」は何が違う?

あけぼの

「家臣」と「家来」は似た意味で使われますが、歴史を学ぶ際には「家臣団」という言葉にも注目しましょう。家臣団とは、一人ではなく主君を支える家臣たちの集団を表す言葉です。

日常語では「家臣」と「家来」は、どちらも主君に仕える者という意味で使われます。歴史を説明するときも両者が近い意味で使われる場合がありますが、研究書などでは「家臣」「被官」「家中」など、その時代の関係をより細かく表す言葉が登場します。

そして重要なのが家臣団です。

これは一人の家臣を指すのではなく、ある大名や武将のもとに集まった家臣たちを集団として捉える言葉です。たとえば織田氏の家臣団を考える場合、合戦で軍勢を率いる武将だけでなく、行政や外交などを担当した人物も視野に入ります。

ただし、家臣団を現代企業の「組織図」のように、最初から整然としたピラミッド型組織だったと考えるのは注意が必要です。

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大名家ごとに成立過程が異なり、古くから仕える一族、新しく服属した地域領主、大名に近い側近など、さまざまな人々が含まれていました。全国の大名家についても、それぞれ異なる家臣団構成が確認されています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

戦国大名の家臣にはどんな人たちがいた?

あけぼの

戦国大名の周囲には、主君の近くで政務を担う者から、自分の城や領地を持つ有力武士まで、さまざまな家臣がいました。全員が同じ身分や権限を持っていたわけではありません。

戦国大名の家臣というと、有名な合戦で活躍した武将が目立ちます。しかし、実際の家臣団には多様な人々がいました。

主君の近くで政務を処理する家臣、文書発給などに関わる奉行人、城を預かる武将、地域を支配しながら軍事力を提供する有力者などです。

さらに理解しておきたいのが国衆(くにしゅう)です。国衆は研究上、一定の地域に独自の支配基盤を持つ領主層を捉えるために使われる言葉です。戦国大名に従属する場合があっても、最初から大名の完全な「直属社員」のような存在だったわけではありません。

たとえば武田氏の研究でも、国衆と戦国大名との関係は領国支配や軍事編成を考える重要なテーマになっています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

大名側から見れば、こうした地域勢力を味方につけることは領国を広げ、守るうえで重要でした。一方、国衆側にも、自らの所領や一族を守るため有力大名と結びつく理由がありました。

つまり家臣団は、出自も規模も異なる武士たちを含む、複雑な集団だったのです。

主君と家臣は単純な上下関係ではなかった

あけぼの

戦国大名が主君だからといって、すべての家臣を自由自在に動かせたわけではありません。特に地域に強い基盤を持つ武士との関係では、大名側にも相手への配慮が必要でした。

戦国大名を絶対的な支配者、その下の家臣を命令どおりに動く存在として描くと、分かりやすくはなります。しかし実際の戦国社会は、それほど単純ではありません。

有力な家臣の中には、自分の城、領地、家臣を持つ者もいました。主君に従いながらも、地域社会との結びつきや独自の利害を持っていたのです。

研究では、戦国大名の「家中」に組み込まれた者への支配と、一定の自立性を持つ国衆への支配という「二重構造」も指摘されています。また、大名が任命した支城主であっても、一定の自立性を持つ場合があったとされています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

そのため、大名は命令するだけでなく、家臣の所領を認めたり、新たな領地を与えたり、紛争を仲裁したりしながら家臣団をまとめる必要がありました。

家臣側も、主君との関係だけでなく、自分の家や領地を存続させることを考えています。

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この点を押さえると、戦国時代の離反や主君替えを単純な「忠義か裏切りか」だけで判断できない理由も見えてきます。

これだけは覚えよう

戦国時代の家臣は「大名の命令を聞くだけの部下」ではありません。主君に仕えながら、それぞれの所領・一族・地域社会を背負っていた武士も多くいました。

  • 家臣=主君に仕えて軍事や政治などを担った武士
  • 家臣団=主君を支えた家臣たちを集団として捉えた言葉
  • 家臣の立場や主君との距離は一様ではない
  • 地域に独自の基盤を持つ国衆なども存在した

まずは、「家臣にもいろいろな立場があった」と覚えておきましょう。


主君と家臣はどんな関係だった?

主君と家臣の関係を理解する鍵になるのが「所領」と「奉仕」です。主君が家臣の立場や所領を保障し、家臣が軍事・政治面で主君を支える関係が形成されました。

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戦国大名は家臣に命令するだけの存在ではありません。家臣が持つ所領を認める「所領安堵(しょりょうあんど)」を行ったり、功績に応じて新たな土地などを与えたりすることも、主君の重要な役割でした。

一方の家臣は、合戦への参加、城の警備、使者、行政などを通じて主君に奉仕します。

ただし、この関係は全国共通の一つの制度によって機械的に運営されていたわけではありません。大名家や地域、時期、家臣の立場によって関係は異なります。

「主君が与えるもの」と「家臣が果たす役割」の相互関係を見ると、戦国時代の主従関係が理解しやすくなります。知行と家臣団組織が大名権力を考える重要な要素だったことは、島津氏などの研究からも確認できます。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

主君は家臣に所領や立場を認めた

あけぼの

家臣にとって所領は、生活の基盤であるだけでなく、兵を動員して武士として活動するためにも重要でした。主君が家臣の所領を認めることは、主従関係を支える大切な要素です。

戦国時代の主従関係を理解するうえで重要なのが、所領安堵です。これは主君などが、家臣や寺社などが持つ土地に対する権利を認めることをいいます。

家臣にとって所領は、単なる財産ではありません。

そこから得られる収入によって家族や家臣を養い、武具を整え、必要に応じて兵を動員します。そのため、自分の所領が誰によって保障されるのかは非常に重要でした。

主君側から見れば、家臣の権利を認めることで、その武士を自らの勢力へ結びつけることができます。また、合戦で功績を挙げた者に新たな所領などを与えることも、家臣の働きに報いる方法でした。

ただし、土地を「主君が完全な所有者として好きに配った」と考えるのは単純化しすぎです。中世の土地には複数の権利関係が重なっていることもあり、在地の事情も無視できません。

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そのため、所領安堵は現代風にいえば「土地そのものをプレゼントする」というより、その土地に対する家臣の権利や支配を政治的に認める行為として理解すると分かりやすいでしょう。

家臣は主君のために軍役などを務めた

あけぼの

主君から所領や立場を認められた家臣には、合戦への参加をはじめとする役割が求められました。なかでも軍役は、戦国大名が軍勢を編成するための重要な仕組みでした。

戦国時代の家臣に求められた代表的な奉仕が軍役(ぐんえき)です。

合戦になると、家臣は単身で主君のもとへ駆けつけるだけではありません。有力な武士であれば、自分の支配地域などから兵を集め、武具や兵糧を整えて軍勢を率いることもありました。

つまり、大名の「軍隊」は、現代の常備軍のようにすべての兵士を中央で直接雇用していたわけではなく、家臣たちが率いる軍勢を組み合わせることで成立する側面がありました。

軍役のあり方は大名家や時期によって異なりますが、島津氏の研究でも、家臣団組織の形成とともに統一的な軍役規定が整備されていったことが論じられています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

また、家臣の奉仕は戦争だけではありません。城の警備、普請、使者、行政などを命じられることもあります。

目的: 主君の軍事力・支配力を維持する
方法: 家臣が兵力や労働力などを提供する
結果: 多数の家臣の力を集め、大名は大規模な軍事・領国運営を行える

こうして見ると、主従関係は「命令を聞く」という精神論だけでなく、具体的な役割によって支えられていたことが分かります。

主君と家臣を結んだ「御恩」と「奉公」とは?

あけぼの

主君が家臣の所領や立場を保障し、家臣が軍事などで主君に仕える関係は、「御恩と奉公」という考え方で説明すると理解しやすくなります。ただし注意も必要です。

日本史の授業では、御恩と奉公という言葉を鎌倉幕府の将軍と御家人の関係で習った方も多いでしょう。

主君側から所領などに関わる保障や恩賞があり、それに対して家臣側が軍事などで奉仕する――という相互関係を理解するうえでは、戦国時代について考える際にも分かりやすい考え方です。

ただし、ここには注意が必要です。

戦国時代の主従関係を、鎌倉時代の「御恩と奉公」という制度がそのまま残っていた、と説明するのは適切ではありません。戦国期には地域ごと、大名家ごとに異なる主従関係や知行の仕組みが形成されていました。

したがって、この記事では「御恩と奉公」を戦国時代の正式な統一制度の名称としてではなく、主君と家臣の相互関係を初心者が理解するための補助線として使います。

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現代風にいえば、一方だけが利益を得る関係ではなく、双方が役割を果たすことで関係が維持されるイメージです。

ただし実際には主君と家臣の力関係は対等ではなく、政治状況によって大きく変化しました。この「相互性」と「力関係」の両方を見ることが大切です。

家臣は主君の命令に必ず従ったの?

あけぼの

家臣だからといって、どんな命令にも無条件で従ったわけではありません。主君と家臣の利害が一致しなくなれば、命令への抵抗や離反が起こることもありました。

ドラマでは、主君が「出陣せよ」と命じると家臣が「ははっ!」と従う場面がよくあります。しかし、実際の戦国社会では、主君の命令が常にそのまま実行されたとは限りません。

家臣には自分の家族、所領、配下の武士、地域社会があります。主君の政策によって自らの権益が脅かされれば、反発する理由も生まれます。

特に一定の領域を支配する国衆は、大名に従属しながらも自立性を保持する場合がありました。戦国大名と国衆の関係は、研究でも「支配・従属・自立」という複数の側面から検討されています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

もちろん、大名の権力が強まれば家臣への統制も強化されます。しかし、それも最初から完成していたわけではありません。

大名は家臣を処罰するだけでなく、所領を保障したり、争いを裁いたり、恩賞を与えたりして家中をまとめる必要がありました。

したがって、戦国時代の主従関係を見るときは、「命令する主君/従う家臣」という一方向の関係ではなく、互いの利害を含んだ政治的な結びつきとして考えることが重要です。

これだけは覚えよう

主君と家臣の関係は、命令と服従だけでは説明できません。所領などの保障と、軍役をはじめとする家臣の奉仕が、主従関係を支える重要な要素でした。

主君側家臣側
所領の保障軍役
恩賞合戦への参加
地位・役割の承認城の警備・普請など
紛争の裁定政治・行政上の奉仕

「御恩と奉公」は、この相互関係を理解するための分かりやすい考え方ですが、鎌倉時代と戦国時代を同じ制度として扱わないようにしましょう。


戦国時代の家臣はどんな仕事をしていた?

戦国時代の家臣の仕事は、合戦で敵と戦うことだけではありません。城や領地の管理、政治、外交など、大名の勢力を維持するためのさまざまな役割を担っていました。

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戦国武将というと甲冑姿が印象的ですが、一年中合戦をしていたわけではありません。大名が広い領国を運営するためには、平時にも多くの仕事が必要でした。

家臣は自分の領地を管理しながら、主君の命令を受けて城を守ったり、他勢力との交渉に関わったりします。文書の発給や訴訟などの政務に関わる者もいました。

そのため家臣団は、単なる「戦闘集団」ではなく、大名の軍事と政治を支える組織でもありました。

ただし、全員が同じ仕事をしていたわけではありません。主君との距離、所領の規模、家柄、能力などによって役割は大きく異なります。大名家ごとに家臣団構成が異なったことにも注意が必要です。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

合戦では兵を率いて主君の軍勢に加わった

あけぼの

合戦が始まれば、家臣にとって重要な役割となるのが軍事奉仕です。有力な家臣は自らの配下を率いて参陣し、大名はそれらを組み合わせて軍勢を編成しました。

戦国時代の合戦で家臣が果たした代表的な役割は、主君の軍勢に参加することです。

ただし、家臣全員が一人の大名から直接指示を受けて同じように戦った、と考えると実態を単純化しすぎます。

有力な家臣は、自分の配下の武士や兵をまとめて軍勢を率いました。そして大名は、それぞれの家臣が率いる部隊を組み合わせ、大きな軍勢を形成します。

家臣は出陣するだけでなく、武器や兵糧の準備、行軍、陣地の構築、警戒なども必要でした。城攻めであれば包囲や普請、守城側なら城門や曲輪の防衛など、状況によって役割も変化します。

また、誰がどれほどの兵力を負担するのかという問題は、大名の軍事力を考えるうえで重要です。戦国大名の家臣団研究では、知行制と軍役が権力構造を考える重要な要素として扱われています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

つまり、大名が「一万人の兵を持っていた」としても、それを現代の軍隊のように大名が一万人全員を直接雇用していた、と考えてはいけません。

家臣とその配下の軍勢を束ねることが、大名の軍事力につながっていたのです。

城や領地を守ることも家臣の大切な役割だった

あけぼの

戦国大名が領国を維持するには、本拠だけでなく各地の城や重要拠点を守る必要があります。そのため家臣が城を預かり、周辺地域の支配を担うことも重要でした。

戦国大名の領国には、本拠となる城以外にも多くの城や拠点がありました。それらすべてを大名本人が直接管理することはできません。

そこで重要になるのが、城や地域を任された支城主などの存在です。

支城は国境、街道、河川、港などの重要地点を押さえる役割を持つ場合があり、そこを預かる家臣は軍事だけでなく、周辺地域の支配にも関わりました。

研究では、大名の家中や一門から任命された支城主であっても、一定の自立性を持つ場合があったことが指摘されています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

つまり、「大名が本社から全国の支店へ細かな命令を出す」という現代的な中央集権組織を想像するのは適切ではありません。

現代風にいえば、ある程度の地域運営を任された「現地責任者」に近い面もありますが、家臣自身が土地との歴史的な結びつきを持っていることもあり、単純な支店長とは異なります。

敵が攻めてくれば城を守り、平時には地域を安定させる。

城を守ることと領地を治めることが結びついていた点を理解すると、戦国大名の領国がどのように維持されたのかが見えてきます。

政治や外交を支える家臣もいた

あけぼの

家臣の能力が発揮されたのは戦場だけではありません。主君の命令を文書にしたり、他勢力との交渉を担当したりするなど、政治や外交を支える家臣も重要でした。

戦国時代の奉行人とは、主君のもとで文書発給や行政実務などに携わった家臣を指す場合に使われる言葉です。大名家によって組織や名称は異なりますが、こうした実務を担う人々なしに領国を運営することは困難でした。

戦国大名には、毎日のようにさまざまな問題が持ち込まれます。

家臣同士の争い、土地をめぐる訴訟、寺社との関係、他国との外交、軍勢の動員などです。

これらをすべて大名本人が一人で処理することはできません。そこで家臣が命令を伝え、文書を作成し、交渉を行いました。

たとえば使者として敵対勢力や同盟相手のもとへ赴く場合、単に主君の言葉を暗記して伝えるだけでは足りません。相手の反応を読み、必要に応じて交渉する能力も求められます。

家臣団研究では、朝倉氏についても奉行人制や奏者衆などが研究対象となっています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

戦国時代を「大名同士の戦争」だけで見ると、このような家臣の姿は見えにくくなります。

大名の政治を実際に動かす実務者も家臣だったと考えると、家臣団の重要性がより分かりやすくなるでしょう。

家臣によって役割や主君との距離は違った

あけぼの

同じ「家臣」と呼ばれていても、大名のそばで働く者と、遠方に自分の城や領地を持つ者とでは、主君との関係も仕事も異なります。家臣団は決して均一ではありません。

戦国大名の家臣団を理解するとき、全員を同じ「家臣」という箱に入れてしまわないことが大切です。

主君の近くで日常的な政務に関わる者もいれば、国境の城を守る者、広い所領を持って多くの兵を動員できる者もいました。

さらに一門、古くから仕えてきた家臣、新たに服属した地域勢力など、大名との結びつきが成立した経緯もさまざまです。

たとえば浅井氏についての近年の研究でも、家臣団だけを見るのではなく、村落社会や守護京極氏との政治的関係などを含めて北近江の権力構造が検討されています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

つまり、戦国大名の家臣団は「大名→重臣→一般家臣」という固定的な三角形だけでは捉えきれません。

大名から見れば、有力家臣の軍事力は頼りになります。しかし、有力であるほど独自の所領や人間関係を持っていることもあります。

反対に、主君の近くで働く家臣は大規模な領地を持たなくても、政治上重要な役割を担う場合があります。

家臣の重要性は、石高や兵力だけでは測れない――この点を押さえておくと、戦国時代の家臣団をより立体的に理解できます。

これだけは覚えよう

家臣は「戦う人」だけではありません。大名が領国を維持するために必要な軍事・城の管理・行政・外交など、さまざまな仕事を分担していました。

場面家臣の主な役割
合戦兵を率いて参陣する
城守備・拠点管理
領地地域支配
政治文書・行政・訴訟など
外交使者・交渉

戦国大名の力は、大名本人の能力だけでなく、家臣たちの力をどれだけまとめられたかという視点から見ることも大切です。


家臣はずっと同じ主君に仕えていたの?

「忠臣は生涯一人の主君に仕えた」というイメージがありますが、戦国時代には政治状況によって主従関係が変化しました。そこには家や所領を守る現実的な事情もありました。

武将と大名のしくみ

主君を変えると聞くと、現代では「裏切り」という言葉が思い浮かぶかもしれません。しかし戦国期の武士の行動を、後世の忠義観だけで判断することには注意が必要です。

戦争によって旧主が滅亡することもあれば、自分の地域が別の大名の勢力下に入ることもあります。有力な地域領主の場合は、複数勢力の間でどちらに従うかという選択を迫られることもありました。

戦国大名と国衆との関係が「支配・従属・自立」という複数の視点から研究されているのも、この関係が単純ではなかったためです。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

主君への忠節を軽視する必要はありません。しかし、家・一族・所領の存続という別の論理も同時に存在したことを理解することが重要です。

主君を変える武将も珍しくなかった

あけぼの

戦国時代には、一人の武将が生涯ずっと同じ家に仕えるとは限りませんでした。大名家の滅亡や勢力関係の変化によって、新しい主君に仕える場合もあります。

戦国武将の経歴を調べると、途中で仕える相手が変わっている人物に出会うことがあります。

その背景の一つが、戦国大名家の滅亡や勢力交代です。

旧主が戦争に敗れて領国を失った場合、その家臣全員がそこで武士としての活動を終えるわけではありません。別の大名に仕官する者、浪人する者、地域に残る者など、その後の道はさまざまでした。

また、地域に独自の支配基盤を持つ武士にとっては、「誰を主君とするか」が領地と一族の存続に直結する場合があります。

戦国期の国衆研究では、大名への従属と自立の双方を視野に入れて、その行動が検討されています。武田氏を中心とした研究でも、国衆が領国支配と軍事編成の重要な存在として位置づけられています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

ここで注意したいのは、「戦国武将は忠義を気にせず自由に主君を乗り換えていた」と逆方向に単純化しないことです。

長年続いた主従関係、婚姻、人質、所領、地域社会との関係など、多くの条件が武士の選択を制約していました。

したがって主君替えは、その武将が置かれていた政治状況を確認してから考える必要があるのです。

主君と対立して離反する家臣もいた

あけぼの

主君と家臣の利害が大きく食い違えば、家臣が主君から離れる「離反」が起こることもありました。その理由は個人的な感情だけではなく、所領や政治情勢とも関係します。

戦国史では、家臣が主君から離れる離反がしばしば起こります。

ドラマでは「主君への不満」「野心」「裏切り」といった人物の感情によって説明されることがあります。もちろん個人的な対立が影響した可能性はありますが、歴史的に考える際には、それだけで説明しないことが大切です。

家臣にとって所領は、家の存続を支える重要な基盤でした。

領地をめぐる裁定に不満がある、敵対する家臣が優遇された、主君が軍事的に弱体化した、近隣の強大な勢力から圧力を受けた――こうした複数の条件が重なることがあります。

また、有力家臣や国衆であれば、自分自身の配下や一族の安全も考えなければなりません。

そのため「なぜ離反したのか」を考えるときは、後世の軍記物に描かれた人物評だけでなく、同時代の書状や所領関係、周辺勢力の動きなどを確認する必要があります。

戦国大名と国衆について「支配・従属・自立」という観点から研究が続いていること自体、両者の関係が固定的ではなかったことを示しています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

離反=性格の問題ではなく、政治的な行動として考える視点を持つと、戦国史がぐっと立体的になります。

大名同士の争いで家臣の立場も変わった

あけぼの

家臣の運命は、仕えている大名だけで決まったわけではありません。周辺の大名同士の勢力争いによって、地域そのものの支配者が変わり、主従関係が組み替えられることもありました。

戦国時代には、ある地域をめぐって複数の戦国大名が争うことがありました。

その地域に城や所領を持つ武士からすれば、これは単なる「大名同士の戦争」ではありません。どちらの勢力につくのかという問題が、自分の家の存続に直結します。

昨日まで従っていた大名が敗れ、別の大名が地域を支配するようになれば、新しい支配者との関係を築かなければならない場合もあります。

逆に、大名側も地域を支配するためには、そこに根を張る武士をすべて排除するより、自らの支配下へ取り込むほうが有効な場合があります。

こうした関係を考えるうえで、戦国大名の「家中」と、自立的な戦国領主である国衆に対する支配の違いを検討する研究は重要です。大名の領国支配は、単純な一枚岩ではなかったことが指摘されています。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

つまり戦国時代の勢力図で「この国は○○氏の領地」と色分けされていても、その内部の武士たちがすべて同じ強さの主従関係で結ばれていたとは限りません。

勢力図の色の内側にも、さまざまな政治関係が存在したのです。

「裏切り」だけでは説明できない戦国時代の主従関係

あけぼの

主君を離れた武将を「裏切り者」と呼べば物語は分かりやすくなります。しかし歴史として考えるなら、当時の政治状況や所領、一族の事情まで見る必要があります。

戦国時代の主従関係を考えるとき、現代人が陥りやすいのが「忠臣」と「裏切り者」という二分法です。

確かに、当時の武士にとって忠節や主従関係が重要でなかったわけではありません。約束を破れば信用を失いますし、離反が処罰の対象になることもありました。

しかし一方で、武士は自分一人で生きているわけでもありません。

家族、一族、家臣、所領、地域社会などを抱えています。主君が滅亡寸前になったとき、最後まで戦うのか、降伏するのか、別勢力に従うのかという選択には、それらの人々の将来も関係しました。

そのため、ある武将が主君を変えたという結果だけを見て、その人物の「忠誠心がなかった」と断定することはできません。

史料から確認したいのは、いつ関係が変わったのか、その直前に何が起きていたのか、所領や周辺勢力がどう動いていたのかです。

この視点を持つと、「なぜこの武将は裏切ったの?」という問いが、

「なぜ、この時点で主従関係を変更する必要があったのだろう?」

という歴史的な問いへ変わります。

そこからが、戦国史の面白いところです。

これだけは覚えよう

戦国時代の家臣が主君を変えたからといって、すべてを「裏切り」で説明することはできません。大名家の滅亡、所領、一族、周辺勢力なども確認する必要があります。

主従関係を見るときは、

主君への忠節
+
所領を守る必要
+
一族・家臣の存続
+
周辺大名との力関係

という複数の視点から考えてみましょう。


家臣とは?まとめ

そもそも戦国時代の「家臣」とは?

戦国時代の家臣とは、主君に仕えて軍事や政治などを担った武士です。しかし、すべての家臣が同じ立場だったわけではありません。

主君のそばで政務を担当する者もいれば、自分の城や所領を持ち、一定の自立性を保ちながら大名に従う地域領主もいました。

「家臣=大名の命令に従う部下」とだけ覚えるのではなく、さまざまな立場の武士によって家臣団が構成されていたと理解することが大切です。

主君と家臣はどんな関係だった?

主君と家臣は、単なる命令と服従だけで結ばれていたわけではありません。主君は家臣の所領や立場を認め、功績に応じて恩賞を与えることがあり、家臣は軍役や城の警備、政治などで主君を支えました。

「御恩と奉公」はこの相互関係を理解する補助線になりますが、鎌倉時代の制度をそのまま戦国時代へ当てはめることには注意が必要です。大名家や地域によって主従関係の形は異なっていたことを押さえましょう。

戦国時代の家臣はどんな仕事をしていた?

家臣の仕事は合戦だけではありません。有力な家臣は兵を率いて参陣する一方、城や地域を任される者、行政実務や文書作成、外交交渉などを担当する者もいました。

広い領国を大名一人で統治することはできないため、家臣たちが軍事と政治のさまざまな仕事を分担する必要があったのです。

戦国大名の力を見るときは、大名本人だけでなく、それを支えた家臣団にも注目すると戦国社会の仕組みが見えやすくなります。

家臣はずっと同じ主君に仕えていたの?

戦国時代には、大名家の滅亡や勢力関係の変化によって、家臣が別の主君に仕えることもありました。

しかし、それをすべて「裏切り」と考えるのは適切ではありません。武士には主君への忠節だけでなく、自らの所領、一族、配下の家臣、地域社会を守るという事情もありました。

主従関係が変化したときは、人物の性格だけでなく、その時点の政治状況や所領、周辺勢力の動きまで確認することで、武将の選択をより深く理解できます。


参考史料・参考文献

一次史料・近世史料

戦国時代の「家臣」全般を一つの史料だけで説明することはできないため、個々の大名家が発給した所領関係文書・書状などを確認する必要があります。東京大学史料編纂所では、中世・近世を含む史料集やデータベースが公開されています。

東京大学史料編纂所 『大日本古文書』
戦国期の主従関係、所領、命令、武士間のやり取りを確認する際の基礎史料を探すために参照。

東京大学史料編纂所 データベース検索
個別の大名・家臣・文書を調査する際の史料検索に利用。

研究書・参考文献

山本大・小和田哲男編 『戦国大名家臣団事典 東国編』
東国の戦国大名ごとに家臣団構成と家臣を整理した基礎的な事典。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

山本大・小和田哲男編 『戦国大名家臣団事典 西国編』
西国の大名家と家臣団を比較し、家臣団が大名家によって異なることを確認するために参照。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

平山優 『戦国大名と国衆』
武田氏を中心に国衆の成立・展開と、戦国大名の領国支配・軍事編成を検討した研究。家臣を一律の「部下」と捉えないために重要。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

戦国史研究会編 『戦国時代の大名と国衆―支配・従属・自立のメカニズム』
大名と国衆の関係を「支配・従属・自立」などの観点から理解するために参照。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

太田浩司 『戦国大名浅井氏と家臣団の動向―北近江の中世後期における政治・社会構造』
浅井氏三代の政治的位置、家臣団、村落社会などを扱った2025年刊行の研究書。特定の大名家の家臣団を具体的に理解する際に有用。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

Webサイト・公的機関の解説

国立国会図書館リサーチ・ナビ 「戦国大名・戦国武将を調べる」
戦国武将・家臣団を調べるための辞典・参考文献が体系的に紹介されており、人物や大名家を追加調査する際に利用できます。国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)

国立国会図書館 『戦国大名浅井氏と家臣団の動向』書誌情報
家臣団と地域社会を組み合わせて戦国大名権力を考える研究書の書誌・内容確認に利用。

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