幕政改革に挑んだ小栗忠順|外交・軍制・財政で幕府を支える
幕末の江戸幕府は、開国による外交問題、諸藩との軍事力の格差、深刻な財政難という三つの危機に直面していました。遣米使節から帰国した小栗忠順は、西洋諸国の制度や技術を参考に、外交交渉、陸軍の近代化、財源の確保を一体的に進めようとします。幕府を延命させるだけでなく、日本が近代国家として自立するための仕組みを築こうとした、小栗の幕政改革を見ていきましょう。
対象読者:歴史中級者
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登場人物・関係者の簡単な紹介
- 小栗忠順
遣米使節の監察を経て、外国奉行・勘定奉行などを歴任した幕臣。本記事の中心人物です。 - 徳川家茂
江戸幕府第14代将軍。幕府が軍制・行政改革を進めた時期の将軍です。 - 安藤信正
老中(幕政を統括した最高幹部の一人)。対馬占拠事件当時の外交方針に影響を与えました。 - 大鳥圭介
西洋兵学に通じた幕臣。のちに幕府陸軍の訓練や編成を支えました。 - レオン・ロッシュ
フランス公使。幕府による軍事・産業の近代化に協力しました。
小栗忠順の幕政改革年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1860年 | 遣米使節から帰国し、外国奉行に就任 |
| 1861年 | ロシア軍艦による対馬占拠事件に対応 同年、外国奉行を罷免 |
| 1862年 | 勘定奉行に就任し、陸軍軍制改革に着手 |
| 1862年末 | 勘定奉行と歩兵奉行を兼任 |
| 1863年 | 陸軍奉行に就任するが、20日足らずで罷免 |
| 1864年 | 再び勘定奉行に就任 |
| 1865年 | 勘定奉行に復帰し、幕府財政と近代化政策を担当 |
| 1866年 | 横浜に三兵伝習所が開設される |
| 1867年 | フランス軍事顧問団による幕府陸軍の訓練が本格化 |
外国奉行として難局に立ち向かう
遣米使節として世界を見た小栗忠順は、帰国直後から幕府外交の第一線に立ちました。しかし、そこで待っていたのは、条約問題と列強の圧力が複雑に絡み合う難局でした。

外国奉行(外交交渉や外国人への対応を担当した役職)となった小栗は、欧米諸国の主張を受け入れるだけでなく、日本側の利益を条約と国際関係の中で守ろうとしました。その姿勢がよく表れたのが、1861年に発生したロシア軍艦による対馬占拠事件です。一方、小栗の積極的な外交構想は、慎重な幕閣と衝突する原因にもなりました。
帰国後に外国奉行へ抜擢される
あけぼの小栗忠順が遣米使節から帰国したのは、万延元年(1860)9月のことです。そのわずか約2か月後、幕府は小栗を外国奉行に任命しました。
小栗は渡米前、目付(めつけ:幕臣の監察や政務上の調査を担当した役職)を務めており、遣米使節では「監察」として正使・副使を補佐しました。アメリカでは、条約批准書の交換だけでなく、造船所、工場、造幣局などを視察しています。この経験によって、外国の軍事力と産業力は切り離せないことを実感したと考えられます。
帰国直後の抜擢は、外国の制度を実際に見た小栗の経験を、幕府が高く評価していたことを示します。当時の日本では、外国事情に詳しい幕臣はまだ限られていました。外交文書を理解するだけでなく、外国側の交渉姿勢や近代国家の仕組みまで把握できる人物は貴重だったのです。
もっとも、小栗が自由に外交政策を決定できたわけではありません。重要事項の最終判断は老中ら幕閣が行いました。外国奉行は交渉の現場を担いながら、幕府内部の意見調整にも追われる難しい立場だったのです。

役職の整理
- 目的:外国との交渉を円滑に進め、日本の権益を守る
- 方法:条約事務、外国公使との折衝、開港場の管理を担当する
- 結果:海外経験を持つ小栗が、帰国直後から外交の実務に加わった
ロシア軍艦による対馬占拠事件
あけぼの文久元年(1861)、ロシア軍艦ポサドニック号が対馬に来航し、島の一部を長期間占拠する事件が起こりました。日本の主権が脅かされた重大事件が発生しました。
ロシア軍艦は対馬の芋崎付近に停泊し、施設の建設や土地の使用を進めました。対馬は朝鮮半島に近く、東アジアの航路を押さえる戦略上の重要地点です。ロシア側には、イギリスなど他の列強に先んじて停泊地を確保しようとする思惑があったとみられます。
幕府はロシア側に退去を要求しましたが、武力で排除すれば全面衝突へ発展する恐れがありました。外国奉行だった小栗は、対馬を一藩だけの問題として扱わず、幕府が直接関与して防衛と外交を進める必要があると考えました。
その一方で、幕府はイギリスの対露警戒も利用します。最終的にはイギリス艦隊の動きも圧力となり、ロシア軍艦は対馬から退去しました。ただし、「小栗一人の交渉でロシアを退去させた」と説明するのは正確ではありません。対馬藩の抵抗、幕府の交渉、列強間の対立が重なった結果と見るべきでしょう。

事件への対応
- 目的:対馬の主権を守り、ロシアによる恒久的な拠点化を防ぐ
- 方法:退去交渉を進め、国際関係も利用してロシア側に圧力をかける
- 結果:ロシア軍艦は退去したが、日本の海防体制の弱さが明らかになった
幕閣と対立して外国奉行を罷免される
あけぼの小栗は対馬占拠事件への対応をめぐり、幕府がより強い姿勢を示すべきだと考えました。しかし、その構想は慎重な解決を目指す幕閣と一致しませんでした。
小栗は、対馬の防衛を対馬藩だけに任せるのではなく、幕府が直接関与する体制への転換を重視したとされています。現代風にいえば、一地方自治体に国境防衛を任せるのではなく、中央政府の安全保障問題として扱おうとしたのです。
これに対して幕閣は、ロシアとの衝突や対馬藩の領有関係が変化することを警戒しました。小栗の提案は外交・軍事・国内統治を同時に組み替える性格を持っていたため、容易には受け入れられなかったのです。
小栗は文久元年(1861)7月、外国奉行を罷免されました。対馬事件をめぐる意見対立が重要な背景だったと考えられますが、罷免の理由を一つの発言や提案だけに限定することはできません。幕府内の人事、外交方針、職務上の対立を含めて見る必要があります。
小栗はその後も町奉行、勘定奉行、陸軍奉行などに起用されます。幕府は扱いにくい意見の持ち主と認識しながらも、その実務能力を必要としていたのでしょう。

対立の構図
- 目的:小栗は対馬を幕府全体の防衛問題として処理しようとした
- 方法:幕府の直接関与と、列強間の関係を利用した外交を構想した
- 結果:幕閣の慎重論と衝突し、外国奉行を罷免された
これだけは覚えよう
小栗忠順は、遣米使節から帰国した直後に外国奉行へ抜擢されました。対馬占拠事件では、日本の主権を守るため、幕府が外交と防衛を一体的に扱う必要性を訴えます。ただし、ロシア軍艦の退去は小栗個人の功績ではなく、幕府・対馬藩・イギリスなど複数の動きが重なった結果です。
西洋式軍制の導入を進める
外交の現場で日本の軍事的な弱さを痛感した小栗は、幕府陸軍の近代化に取り組みます。目標は、身分に基づく軍勢から、統一的に指揮できる常備軍への転換でした。

従来の幕府軍は、旗本・御家人や諸藩の兵力を必要に応じて動員する仕組みでした。しかし、西洋諸国の軍隊と対抗するには、統一された装備、訓練、指揮系統が欠かせません。小栗は勘定奉行として財源を調整し、歩兵奉行などの立場から軍制改革を推進しました。
歩兵・砲兵・騎兵による三兵編制
あけぼの西洋式軍隊の基本となったのが、歩兵・砲兵・騎兵を組み合わせる「三兵編制」です。小栗は幕府軍を、役割の異なる兵科が連携する組織へ変えようとしました。
歩兵は小銃を用いて戦場の中心を担い、砲兵は大砲による遠距離攻撃を行います。騎兵は偵察、伝令、追撃など機動力を生かした任務を担当しました。三兵を別々に置くだけでなく、一つの作戦の中で連動させることが重要でした。
従来の武士団では、家格や主従関係が部隊編成の基準になりやすく、装備や訓練も統一されていませんでした。これに対して西洋式軍隊では、兵士を規則に従って訓練し、指揮官の命令で組織的に動かします。現代風にいえば、家ごとに異なる私設部隊を集める方式から、共通のマニュアルと装備を持つ公的組織へ転換する改革でした。
小栗は文久2年(1862)に陸軍軍制改革へ着手し、同年末には勘定奉行と歩兵奉行を兼任しました。ただし、三兵編制は小栗一人で完成させたものではありません。大鳥圭介ら軍事専門家、幕府の各奉行、のちに来日したフランス軍事顧問団など、多くの人々によって具体化されました。
三兵編制
- 目的:幕府軍を近代的な常備軍へ改編する
- 方法:歩兵・砲兵・騎兵を組み合わせ、装備と訓練を統一する
- 結果:幕府陸軍の組織化が進んだが、完成前に幕府が崩壊した
兵賦令によって農村から歩兵を集める
あけぼの近代的な歩兵部隊を編成するには、多数の兵士が必要です。そこで幕府は、知行高に応じて旗本領などから人員を差し出させる兵賦の仕組みを導入しました。
従来、戦闘を担うのは武士が原則でした。しかし、幕末になると旗本・御家人だけでは必要な兵力を確保できません。兵賦(へいぶ)では、農村の若者などを歩兵として集め、給金を与えたうえで西洋式の訓練を施しました。
これは明治時代の徴兵令のように、全国民へ一律に兵役を課した制度ではありません。幕府の直轄領や旗本領を中心に、領主が石高に応じて人員を供出する方式でした。また、実際の人集めでは地域差があり、農村側の負担や抵抗、代理人の雇用なども生じました。
それでも、農民出身者が銃を持ち、訓練された兵士になることは、武士だけが軍事を独占してきた身分秩序を揺るがします。幕府は徳川体制を守るために軍隊を近代化しましたが、その改革自体が旧来の武士社会を変える力を持っていたのです。
兵賦制度
- 目的:西洋式歩兵部隊に必要な人員を確保する
- 方法:領主の知行高などに応じ、農村から人員を供出させる
- 結果:幕府直属歩兵の拡充が進む一方、農村負担や身分秩序の変化を招いた
三兵伝習所と大砲製造所の整備
あけぼの兵士を集めるだけでは、近代的な軍隊はつくれません。幕府は訓練施設を設け、大砲や小銃を整備する生産・補給体制の構築も進めました。
慶応2年(1866)、幕府は横浜に三兵伝習所を開設しました。翌年にはフランス軍事顧問団を迎え、歩兵・砲兵・騎兵に西洋式の訓練を実施します。大鳥圭介(おおとり けいすけ)ら西洋兵学に通じた幕臣も、教育と部隊編成に関わりました。
小栗は三兵伝習所の開設時には勘定奉行として財政実務を担っており、軍服や装備、施設運営に必要な費用の審査にも関与しました。ただし、「小栗が単独で三兵伝習所を設立した」とするのは適切ではありません。小栗が1862年から進めた軍制改革を基礎として、複数の幕臣や外国人教官が制度を具体化したと捉えるべきです。
また、幕府は湯島などで大砲鋳造や火器製造を進め、関口製造所をはじめとする軍需施設も整えました。さらに横須賀製鉄所の建設は、艦船修理だけでなく、機械・金属加工の技術基盤を日本に築く計画でもありました。
現代風にいえば、小栗は兵士の採用だけでなく、研修施設、装備工場、修理拠点、予算制度までを一つの軍事インフラとして捉えていたのです。
軍事施設の整備
- 目的:兵士の訓練と武器の国産化・安定供給を実現する
- 方法:伝習所を設置し、外国人教官を招き、製造施設を整える
- 結果:幕府陸軍の近代化は進んだが、十分な成果を上げる前に政権が崩壊した
これだけは覚えよう
小栗が目指したのは、武士を寄せ集めた軍勢ではなく、統一された指揮・装備・訓練を持つ常備軍でした。兵賦によって人員を集め、三兵編制、訓練施設、武器製造、財源を一体的に整えようとした点が重要です。ただし、改革は小栗一人の事業ではなく、多数の幕臣やフランス軍事顧問団との共同作業でした。
勘定奉行として幕府財政を立て直す
外交にも軍制にも、多額の資金が必要です。小栗は勘定奉行として、収入不足に苦しむ幕府財政を立て直し、近代化政策を支える財源を生み出そうとしました。

勘定奉行(幕府の財政・領地行政などを担当した役職)は、現代の財務大臣と国税・会計部門を合わせたような役職です。小栗は収入を増やす一方、各部門の支出を見直しました。しかし、その改革は、既得権を持つ幕臣や商人から強い反発を受けます。
幕府財政を圧迫した国内外の問題
あけぼの幕末の幕府財政は、慢性的な収入不足に加え、開国後の臨時支出によって急速に悪化していました。軍艦や武器の購入、海防施設の建設、外交使節の派遣などが重なったためです。
幕府の主要な収入は、直轄領から納められる年貢米でした。しかし、米を基礎とする財政制度では、貿易や商品流通が拡大する社会から十分な収益を得られません。物価上昇によって支出が増えても、年貢収入が同じ割合で増えるわけではなかったのです。
さらに、開港後には金銀交換比率の違いから金貨が海外へ流出し、貨幣改鋳は物価混乱を招きました。国内では異国船への警備、将軍上洛、長州征討などにも巨額の費用が必要になります。
現代風にいえば、税収が伸びない状態で、防衛費、外交費、公共事業費が一斉に増えたようなものでした。しかも、幕府には近代国家のような統一的な税制も国債制度もありません。小栗はこの古い財政構造のまま、軍制改革や製鉄所建設に必要な資金を確保しなければならなかったのです。
財政難の構造
- 目的:外交・軍事・行政を維持できる財源を確保する
- 方法:新たな収入源を探し、貨幣・貿易・支出制度を見直す
- 結果:改革は進んだが、戦費と物価上昇が財政改善を上回った
生糸と蚕種紙の取引に課税する
あけぼの開港後、日本の重要な輸出品となったのが生糸です。ヨーロッパで蚕の病気が広がると、蚕の卵を産み付けた蚕種紙も海外から求められるようになりました。
幕府にとって、急成長する輸出取引は新たな財源となる可能性を持っていました。そこで、貿易に伴う運上・冥加などの負担や、流通統制を通じて収入を得る方法が検討されます。現代風にいえば、急成長した輸出産業から取引手数料や事業税に近い収入を確保しようとしたのです。
ただし、生糸や蚕種紙(さんしゅし)への課税・統制を、すべて小栗個人が発案して実施したとは言い切れません。幕府の貿易政策には、外国奉行、勘定奉行、開港場の役人、問屋など多くの主体が関わっていました。小栗の役割は、勘定奉行として輸出取引から得られる収入を、幕府の財源へ結び付けようとした点にあります。
輸出品への負担を重くすれば、生産者や商人の反発を招き、密売や取引停滞につながる恐れもありました。財源確保と貿易振興を両立させることは、幕府にとって難しい課題だったのです。
輸出取引からの財源確保
- 目的:拡大する貿易から幕府収入を得る
- 方法:生糸・蚕種紙などの取引に負担を設け、流通を把握する
- 結果:新財源となる可能性を持ったが、商人・生産者との調整が課題になった
経費削減によって反発を受けた財政改革
あけぼの新たな収入を増やすだけでは、幕府財政を立て直せません。小栗は勘定奉行として、役所や軍事部門から提出される支出を精査し、不要な経費を削ろうとしました。
幕府の組織には、家格や慣例に基づく手当、調達、役職が数多く残っていました。改革によって予算が削られれば、役人だけでなく、物資を納入していた商人や請負業者も利益を失います。そのため、経費削減は単なる事務改善ではなく、幕府内部の既得権に踏み込む改革となりました。
小栗は、必要と判断した製鉄所や軍備には多額の資金を投入する一方、効果が乏しい支出には厳しい姿勢を示しました。つまり、すべてを均等に削るのではなく、将来の生産力につながる事業へ資金を振り向けようとしたのです。
現代風にいえば、赤字を減らしながら、工場、技術教育、防衛設備といった成長分野には投資する「選択と集中」に近い考え方です。しかし、その優先順位が幕閣や他の奉行と一致するとは限りません。小栗が何度も罷免と再任を繰り返した背景には、こうした政策上の衝突もありました。
ただし、個々の罷免をすべて経費削減への反発だけで説明することはできません。外交方針、人事関係、軍事政策など、複数の対立が重なっていたと見る必要があります。
経費削減策
- 目的:慢性的な赤字を抑え、近代化事業の財源を確保する
- 方法:予算や調達費を審査し、優先度の低い支出を削減する
- 結果:財政規律の強化を図ったが、幕臣や商人の反発を招いた
これだけは覚えよう
小栗の財政改革は、単なる節約ではありません。貿易から新しい収入を得て、不要な支出を削り、その資金を軍制や産業基盤へ振り向ける構想でした。一方、生糸・蚕種紙への課税を含む貿易政策は幕府の複数部門が担っており、小栗一人の発案と断定しないことが大切です。
まとめ1|外交官・小栗忠順が直面した列強の圧力
遣米使節から帰国した小栗忠順は、外国奉行として対馬占拠事件などの難局に向き合いました。小栗が重視したのは、列強の要求にその場で応じることではなく、外交・海防・領地支配を一体として考えることです。しかし、その積極策は慎重な幕閣と衝突し、外国奉行を罷免されました。幕府が小栗を繰り返し登用した事実は、その意見を警戒しながらも、国際感覚と実務能力を必要としていたことを示しています。
まとめ2|身分制の軍勢から近代的な常備軍へ
小栗が進めた軍制改革は、歩兵・砲兵・騎兵による三兵編制を採用し、統一された訓練と指揮を持つ常備軍を築く試みでした。兵賦によって農村からも人員を集めたことは、武士が軍事を独占する社会からの転換を意味します。三兵伝習所や軍需施設の整備は小栗一人の成果ではありませんが、小栗は人員、装備、訓練施設、製造拠点、予算を一つの制度として結び付け、幕府軍近代化の土台を築きました。
まとめ3|財政改革から見える小栗忠順の国家構想
勘定奉行としての小栗は、年貢米に依存した幕府財政を改め、貿易から新たな収入を得ようとしました。同時に、既存の経費を精査し、軍備や製鉄所など将来の国力につながる事業へ資金を集中させます。その改革は既得権を持つ幕臣や商人の反発を招きましたが、財政・軍事・産業を一体で考えた点に小栗の先進性があります。小栗が目指したのは幕府の延命だけでなく、近代国家を支える仕組みづくりだったのです。
参考史料・参考文献
一次史料・近世史料
- 『小栗上野介関係文書』
小栗忠順の日記写本を含む関係資料です。役職歴や軍制改革への着手時期を確認するために参照しました。 - 『幕末外国関係文書』
幕末の外交交渉、外国船への対応、幕府内部の意思決定を確認するための基礎史料です。 - 『続通信全覧』
幕府の外交・海軍・外国関係文書を確認するために参照できる史料集です。 - 田辺太一『幕末外交談』
幕末外交の実務に携わった幕臣による記録です。回想史料であるため、同時代文書と照合して利用する必要があります。
研究書・参考文献
- 高村直助『小栗上野介―「狂人」か「罪人」か』
小栗忠順の政治・経済構想を、幕末の社会状況とあわせて理解するために参照しました。 - 亀掛川博正「外交官としての小栗忠順―1861年露艦『ポサドニック』号対馬滞泊事件をめぐって」
対馬占拠事件における小栗の外交姿勢と、幕府内部の対立を検討した論文です。 - 「文久の改革に関する若干の考察」
文久期の幕政改革を財政面から理解するために参照しました。
Webサイト・公的機関の解説
- 国立国会図書館「小栗忠順|近代日本人の肖像」
小栗の経歴、遣米使節、勘定奉行、軍制改革などの概要を確認しました。 - 国立国会図書館「世界を見たサムライ達」
万延元年遣米使節における小栗の立場と使節団の構成を確認しました。 - 国立公文書館「昇進の理由―旗本御家人II」
三兵編制、三兵伝習所、大鳥圭介ら幕臣の登用について確認しました。 - 国立公文書館「騎兵の軍服を新調したい旨」
三兵伝習所とフランス式軍事訓練、小栗の財政実務上の関与を確認しました。 - 高崎市「小栗上野介忠順」
小栗の生涯と業績について、ゆかりの自治体による解説を参照しました。 - コトバンク「蚕卵紙」
蚕種紙の性格と、幕末から明治初期に輸出が拡大した背景を確認しました。

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